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福岡高等裁判所 平成元年(う)185号 判決 1989年9月11日

本籍

福岡市博多区石城町四五七番地

住居

同市南区多賀一丁目三番一五号

無職

松岡弘則

大正一一年一一月一七日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成元年三月二七日福岡地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があつたので、当裁判所は、検察官小谷文夫出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人中川瑞夫の差し出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官小谷文夫の差し出した答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意中、事実誤認の主張について

所論は要するに、原判示第二の事実について、被告人は、昭和六一年分の株式売買回数が、課税要件の五〇回以上になつていることを認識していなかつたので、原判示第二の罪の犯意を有しなかつたのに、原判決が、右犯意を認めたのは、事実を誤認したものである、というのである。

しかしながら、原判決挙示の関係証拠、とりわけ、原田隆勝(三通、検四六、五〇、五二号)、古賀敦子(検五九号)、大隅昌喜(二通、検六二、六三号)及び被告人(五通、検八六ないし八九、九一号)の検察官に対する各供述調書並びに被告人の原審公判廷における供述によれば、被告人は、昭和六一年五月ころ、野村証券株式会社福岡支店の支店長原田隆勝から、被告人の同年分の株式売買の回数が五〇回に近くなつているので、どうするか、と尋ねられ、即答はしなかつたものの、その数日後、改めて同支店長から尋ねられた際、取引を継続する旨答えていること、更に、同年秋ころには、株式会社旭印刷の総務部長大隅昌喜からも、被告人の同年分の株式売買の回数が五〇回を超えるのではないかと注意されたこと、被告人は、株式売買の注文を、自分で直接証券会社の担当者にするとともに、右株式売買の結果を、右大隅に、書面に記帳させて報告させていたこと、被告人の同年分の株式売買回数は、被告人にとつて極めて有利な国税査察官の算定方法によつても、六八回となること、そのようなことから、被告人は、同年分の所得税確定申告書の提出時までには、自己の同年分の株式売買の回数が五〇回を超えていることをよく認識していたことが優に認められ、被告人の当審公判廷における供述中右認定に反する部分は、前記各証拠に照らして信用できず、被告人には、原判示第二の罪の犯意のあつたことを十分肯認することができる。したがつて、原判決には、所論のような事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

控訴趣意中、法令の解釈適用の誤りの主張について

所論は、要するに、原判示の被告人の各行為は、いずれも、事前の不正行為を伴わない過少申告行為であるから、所得税法二三八条一項の「偽りその他不正の行為」にあたらないのに、原判決が、これにあたるとして同法条を適用したのは、法令の解釈適用を誤つたものである、というのである。

しかし、原判示の被告人の各行為は、いずれも、所得税の一部を免れようとして、故意に所得の一部を記載せず所得金額を過少に記載した内容虚偽の所得税確定申告書を所轄税務署長に提出したものであつて、右のような過少申告行為は、その申告前における脱税のための不正行為を伴つていないとしても、単なる所得不申告とは異なり、その過少申告行為自体、所得税法二三八条一項の「偽りその他不正の行為」に該当するものというべきであり、これを消極に解すべき合理的理由はないから、被告人の原判示の各所為に同法条を適用した原判決の法令の解釈適用に誤りがあるとは考えられない。所論は、単なる所得不申告の場合と右のような過少申告の場合との差異を正解しないものであつて、採用することができない。論旨は理由がない。

控訴趣意中、量刑不当の主張について

量刑不当の論旨にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するに、本件は、印刷業等の会社経営の傍ら株式等有価証券の売買取引を多量かつ継続的に行つていた被告人が、昭和五九年分と同六一年分においては、右株式等の売買による所得が課税要件を充足するに至つたことを認識しながら、それまでの年度の株式等の売買取引では、損失を出すことも多かつたことから、たまたま利益が出たとはいえ、なるべくなら税金は納めないですませようという利己的な動機によつて、右株式等の売買による所得については一切申告しないこととして、右両年分の所得税の確定申告において、その分の合計四億九三五六万六二三四円の所得を秘匿した内容虚偽の過少申告をして、合計三億四二五一万三四〇〇円もの多額の所得税を免れたものであつて、被告人の刑事責任は当然重いといわなければならず、本件が、比較的単純な所得税過少申告の事案であること、被告人が、すでに右両年分についてともに修正申告をして、納税を済ませていること、株式等の売買による所得に対する課税の方式はやや特殊であり、そのことが、被告人の納税意欲をそいだ面があること、被告人は、前科を有さず、多数の従業員をかかえる会社経営者として活躍していたものであることなどの事情を被告人のために十分参酌しても、被告人を懲役一年六月及び罰金一億円に処し、二年間右懲役刑の執行を猶予した原判決の刑の量定は、罰金額の点を含めて、やむを得ないものであつて、これが重過ぎて不当であるとは考えられない。論旨は理由がない。

それで、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 淺野芳朗 裁判官 濱﨑裕 裁判官 陶山博生)

平成元年(う)第一八五号

控訴趣意書

所得税法違反

被告人 松岡弘則

右の者に対する頭書被告事件につきつぎのとおり控訴の趣意を述べる。

平成元年六月一二日

右弁護人 弁護士 中川瑞夫

福岡高等裁判所第二刑事部 御中

第一、原判決は、

「被告人は、多量の有価証券の売買を行い多額の所得を得ていたのに、自己の所得税を免れようと企て、所得税確定申告は給与所得及び配当所得のみにとどめ、有価証券売買益を一切申告しない等の方法により、その所得を秘匿し

第一 昭和五九年分の実際総所得金額が六、四七七万四、九八三円あつたのにかかわらず、同六〇年三月一四日、福岡市中央区天神四丁目八番二八号所在の所轄福岡税務署において、同税務署長に対し、同五九年分の総所得金額が四、二一〇万九、九〇〇円で、これに対する所得税額が三一一万五、四〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、同年分の正規の所得税額一、七七〇万一、二〇〇円と右申告税額との差額一、四五八万五、八〇〇円を免れ

第二 昭和六一年分の実際総所得金額が五億一、五〇九万七、二五一円あつたのにかかわらず、同六二年三月一四日、前記福岡税務署において、同税務署長に対し、同六一年分の総所得金額が四、四一九万六、一〇〇円で、これに対する所得税額が五八七万一、〇〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、同年分の正規の所得税額三億三、三七九万八、六〇〇円と右申告税額との差額三億二、七九二万七、六〇〇円を免れ

たものである」

として、被告人を懲役一年六月及び罰金一億円に処する。被告人において、右罰金刑を履行しないときは金二五万円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。本裁判確定の日から二年間、右懲役刑の執行を猶予する。と宣告した。

しかし、この判決には事実誤認、および、法律の解釈適用を誤つた違法があり、被告人は無罪である。仮に有罪であるとしても右量刑は重きに過ぎて失当である。

第二、被告人の株式取引状況

一、従前の経過

被告人は昭和五二年ころから、証券取引業者に委託して株式売買を始め、徐々に取引高を増してきたが、巨大証券会社一本に取引をまとめた方が情報収集に優れているし、取引管理も容易であることから野村證券株式会社福岡支店にすべての委託を集中させる方針で取引を続けた。委託の方法は電話連絡が中心で、被告人の発意による電話注文、あるいは、野村證券営業員の電話勧誘に対する被告人の応諾の形でなされてきた。被告人の用いた資金は自己資金、株式会社旭印刷からの借入金、および、妻静子からの借入金である。使用名義は被告人本人の外、後に妻名義取引も数件あり、また、取引資金の出納に使用した銀行も、自己名義のほか妻名義口座が一口ある。

二、昭和五九年の株式大量譲渡

被告人は株価情報や、自己のなした売買の損益に関しては当然敏感であつたが、租税特別措置法による株式売却益に対する課税要件の詳細には疎く、野村證券営業員の方で所得税が課税されない限度で売買の監理をしてくれるものと信頼し、また、実際にその旨を頼んでもいた。被告人は昭和五九年一月に住友化学株一〇〇万株を買い、これを同年五月に売り、また、昭和五八年一〇月に東芝株二〇万株を買つて、これを昭和五九年九月に売り、それぞれ相当額の利益を得たが、この売買当時はこれが課税要件に該当することは知らず、昭和五九年末ころ野村證券小林課長から、同一銘柄株二〇万株以上売却すると売却益に課税されると聞いたものの、未だ正確に理解できず、年間に二〇万株という法定要件を一回に二〇万株と誤解していたところからも前記特別措置法に対する関心の甘さが窺われる。しかし、少なくとも前記二件の大量譲渡については売却益を昭和六〇年三月に所得申告すべきであつたのに敢て遺脱した事実は争わない。

三、昭和六一年の株式多数回取引

被告人は野村證券の小林課長の指導に従って株式売買をし、昭和六〇年に大損失を蒙つたが、野村證券福岡支店としては上得意客の被告人の意を迎えようと、翌六一年から当時の支店長原田隆勝が直々に被告人の担当者となり、損失の挽回を期した。被告人は株式売買が年間五〇回に達すると課税されるということ自体は勿論聞き知つていたが、これは単純に注文伝票一枚毎に一回と数えるようなものではなく、多数の注文でも相当圧縮して回数を少なめに数えることができる問題だと認識していた。ただし、現実に計算基準は知らないので、回数管理は一切原田支店長にお願いし、被告人自身は旭印刷の大隅昌喜をして損益表を作成させ専ら損益のみに注意していた。原田支店長が情報を提供するようになつて被告人の取引は極めて順調になり、昭和六一年は上半期で前年の損失を補う利益を得るに至つた。被告人は原田支店長を深く信頼し、売買委託に当たつても同人にかなりの裁量権を与えることが多かつた。証拠として提出されている野村證券福岡支店の被告人の株式委託注文伝票は株式売買回数判定の基礎資料となるものである。関係者の供述ではこの伝票は注文があるとその都度即座に起票され、場につなぐことになつていると説明されるのであるが、被告人の注文に関して言えば、原田支店長は、被告人の自宅や出先に早期とか夜間に連絡することも多く、同人自身が外出先から電話することもあつたというのであるから、そのような機会に受注したものを即時委託注文伝票に記載したとは考え難い。また同人は勧誘に際し、殆どの場合、被告人と銘柄、株数、概略の値段を取り決めるだけで後のことは「任せて下さい」の言葉で委託を受けることが多かつた。事実同人は被告人からの受注を自己の手帳にメモをして整理していたので、これに従つて取引を処理していたと思われる。被告人は出社した折に大隅に注文内容を伝え、あるいは、同人が野村證券から取引の出来、不出来の連絡を受けて被告人に注文の事後確認をする程度で、実際に野村證券社内で何時、どの銘柄が、どんな数量値段で委託伝票に作られているかは知らなかったし、また、特段の監視もしなかつたのである。野村證券関係者は、この株式委託注文伝票は受注の都度年月日時刻が機械的に打刻され即時担当者が注文内容を記入しているので日時の改ざんは不可能であると言うが、ざつと見たところでも日付の訂正、打刻の修正がなされたものが数枚あるし、小林眞二の検察官調書でも「打刻ミスで九月一五日の休日の日付の伝票が数枚出来ている」旨(六三・一一・二三付三枚目以降)の供述があつているとおり伝票の作成日付は全面的に信用できるものでもないうえ、前記のとおり原田支店長が、相場の動向を見ながら適宜被告人の注文を場につながせたケースも多かつたであろう本件においては、被告人の株式売買の回数が何回であるかの確定はそもそも困難であつた。

被告人は昭和六一年五月ころ、野村證券原田支店長から電話で株式売買が「五〇回に近づいた」旨の予告を受けたとされている。被告人はこの予告を受けたことについて正確な記憶がないが、同人が「五〇回を越えていても問題はない」旨の発言をしたことは記憶しているので、右予告があつたことも間違いないと思われる。被告人の検察官に対する供述、あるいは査察官に対する供述によると、この予告を受けたことにより、被告人はその後の売買継続の状況から昭和六一年の自己の株式売買は課税要件を充足したものとの認識を得たとされているが、この自白は虚偽である。被告人は右原田の言を聞いても自己の株式売買が五〇回に達するとは思わなかつた。回数管理を任せている以上、同人が何としてでも非課税の範囲内に収めてくれるものと信じていたのである。現実に、査察官の見解ではあるが委託注文伝票から集計した一年分の回数は端株取引回数三回をも含めて六八回であり、昭和六一年五月末現在では僅か三二回であつた。右原田の伝票の起こし方次第では同年の合計回数が、国税局の解釈でも四〇回台にとどまつたであろうことは容易に想像でき、被告人が同人の予告を現実的な警告と受け止めなかつたのも無理からぬ根拠があつた。しかも、同人は前記のとおり「五〇回を越えても問題はない」旨発言し、かつ、継続して株式売買をするよう被告人に慫慂したのであつて、被告人が同人に対する信頼の故に課税問題を考慮の外に置いていたことも理解できるところである。

被告人は強大な力を誇る野村證券の庇護を信じて、年間二〇万株、売買五〇回という課税要件に該るかどうかの検討もせず(仮に検討していたとしても被告人の理解するところでは五〇回に満たなかつた)、翌六二年三月の所得税申告期に株式売買益を申告しなかつたのである。結局昭和六一年の株式売却益の不申告については被告人には犯意がなかつたのである。

第三、原判決は法令の解釈適用を誤つている。

一、仮に被告人の犯意を認めるとしても原判決第二のみならず全事実につき被告人は無罪である。

被告人は所得税法二三八条により刑責を問われるものであるが、被告人のなした行為は、何ら事前の不正行為を伴わない過少申告であつて、同法の「偽りその他不正の行為により」所得税を免れたという構成要件に該当しない。被告人の取引状況には「不正の行為」と目される一点のやましい事実もない。昭和五九年の大量譲渡の件、あるいは昭和六一年の多数回取引の件にしても、被告人は所得隠ぺいのためのいかなる工作をもしてはいない。被告人が委託した証券会社は野村證券一本で、他に日興証券、山一証券での取引もあつたものの、これは仕事の付き合い上一回的に利用しただけの取引であつた。妻名義を使用したことが数回あるが、これは野村證券側の顧客数を増やそうという営業方針につられて申込をしたものである。野村證券側は松岡静子名義は被告人の計算による取引であることを熟知し、顧客管理上も被告人と同一視していた。株式売買資金の出入りに時折使用していた銀行口座も、何ら作為的な隠ぺい工作はされていない。妻名義の福岡銀行高宮支店口座は、もともと妻の開設していた口座で、資金を借りるときは妻に引き出させて借り受け、余つた資金は一部返済の形で振込みしていたものである。

被告人は昭和五九年の大量譲渡の際は、課税要件にあたることの認識が全くなかつたので、後に野村證券の小林から聞き知つて逋脱の犯意は抱いたものの、何の隠ぺい行為も施さず単純に所得申告から逋脱した。昭和六一年の嫌疑に関しては、被告人が株式売買の回数を自ら管理した事実はない。前記原田から伝票ないしは取引回数の分かる文書を示されたこともないので、何らかの工作をする余地もなかつたのである。

二、「偽りその他不正の行為」とは脱税罪の実行行為であつて、租税を免れる意図をもつて税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるような偽計その他の工作を行うことをいう。これに該当するものとしては、従前から、二重帳簿の作成、帳簿書類の虚偽記載、その破棄毀損、虚偽の答弁、収税官吏の買収等の積極的な行為が挙げられていた。単純無申告に罰則のなかつた当時の最判昭和二四年七月九日は旧所得税法第六九条第一項につき「詐偽その他不正の行為によつて所得税を免れた者を処罰しているが、それは詐偽その他不正の手段が積極的に行われた場合に限るのである。それ故もし詐偽その他不正行為を用いて所得税を秘し無申告で所得税を免れた者はもとより右規定の適用を受けて処罰を免れないのであるが、詐偽その他の不正行為を伴わないいわゆる単純不申告の場合はこれを処罰することができないのである。」と判示し、その後、最判昭和三八年二月一二日、最判昭和三八年四月九日等において「税逋脱の意思によつてなされた場合でも、単に申告書を提出しなかつたという消極的な行為だけでは、詐偽その他不正行為にあたるものということはできない」との解釈が示された。

これら判例に言う「積極的・消極的」の意義につき、更に最(大法廷)判昭和四二年一一月八日は「詐偽その他不正の行為とは、逋脱の意図をもつて、その手段として税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作を行うことをいうものと解するを相当とする。所論引用の判例が、不申告以外に詐偽その他不正の手段が積極的に行われることが必要であるとしているのは、単に申告をしないというだけではなく、そのほかに、右のようななんらかの偽計その他の工作が行われることを必要とするという趣旨を判示したものと解すべきである。…原判決は、単に正規の帳簿への不記載という不作為をもつて直ちに詐偽その他不正行為にあたるとしたものではなく、被告人が物品税を逋脱する目的で、物品移出の事実を別途手帳にメモしてこれを保管しながら、税務官吏の検査に供すべき正規の帳簿にことさら記載しなかつたこと、他に右事実を記載した帳簿もなく、納品複写簿、物品受領書綴または納品書綴によつても右事実が殆ど不明な状況になつていたことなどの事実関係に照らし、逋脱の意図をもつて、その手段として税の徴収を著しく困難にするような工作を行つたことが認められるという意味で、右判例にいう積極的な不正手段に当たると判断した趣旨と解せられる」と判示した。右の最(大)判昭和四二年は「詐偽その他不正の行為」というためには、「偽計その他の工作」が行われることを必要とするし、これは単に帳簿への不記載という「不作為」では足りないとの解釈を示している。

三、この大法廷判決の態度は当然であつて、法が逋脱犯の処罰を規定するに当たり、単純に「(故意に)所得税を免れ」とはせずに「偽りその他不正の行為により・・・所得税を免れ」と定めて脱税の方法を限定している以上、可罰性の範囲に枠をはめる必要があるのである。この判例の解釈からすると、事前の不正工作なくして確定申告書に一部の所得を遺脱した本件被告人の事案については逋脱犯は成立しないとすべきであるが、通説は、特別の工作を行わずに単に所得を隠ぺいしてなす虚偽過小申告を「詐偽その他不正の行為」に当たるものとする最(小法廷)判昭和四八年三月二〇日を支持している。この判決は先の大法廷判決の解釈をより明確に示したものと評価されているが、そういう評価は誤っている。この小法廷判決は、逋脱罪の構成要件たる「詐偽そではの他不正の行為」とは「偽計その他の工作を行うことをいう」、「帳簿への不記載という不作為のみ足りない」という趣旨の大法廷判決の解釈と明らかに矛盾している。右小法廷判決は「真実の所得を隠ぺいし、それが課税対象となることを回避するため、所得金額をことさらに過小に記載した内容虚偽の所得税確定申告書を税務署長に提出する行為自体、単なる所得不申告の不作為にとどまるものではなく、右大法廷判決の判示する『詐偽その他不正の行為』に当たるものと解すべきである」と判示する。この判決は、修辞抜きに言い換えると、逋脱の犯意をもつて過少申告書を提出すること自体が「詐偽その他不正の行為」に該当するといつているのである。つまり、「詐偽その他不正の行為により」の部分を罰条から削除したに等しい解釈を示している。原判決もこの解釈に従つて被告人に有罪の認定をしていると思われるが、こういう乱暴な解釈があつて良いものだろうか。

法一三八条一項(旧六九条一項)は「偽りその他不正の行為により、第一二〇条第一項第三号(確定申告にかかる所得税額)…に規定する所得税の額につき所得税を免れ、…た者は、五年以下の懲役もしくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する」と規定する。この構成要件の「所得税を免れ」という文言は、犯行の類型として「所得を隠ぺいし過少申告書を提出する」行為を包含していることを論を俟たない。法が虚偽の申告書の提出によつて所得税を免れるすべての行為を処罰する意図であるならば、「偽りその他不正行為により」という限定文言を冠する必要はないのである。前記小法廷判決は、事前の不正行為を伴わない過少申告行為を逋脱犯から除外しようという法の意図に従つて、「積極的行為、工作、作為」という表現で可罰行為の範囲を限定する従前の判例の正当な方針から明らかに逸脱し、罪刑法定主義を無視する解釈を示すものと言わざるを得ない。

右小法廷判決を支持する学説の言うところによれば、事前の不正行為を伴わない虚偽過少申告は、単なる不申告とは明らかに異なるので、もしこれが「不正の行為」に当たらないとすれば罰条がないことになり、単なる不申告を処罰するのと権衡を失すると言い、あるいは、法人や個人事業主以外の一般個人については、収支に関して記帳が強制されていないから、帳簿の不正作成等の積極的な「工作」をする必要に乏しくその点で脱税を捕捉し難く、かかる「工作」が伴わない故をもつて「過少申告行為」を逋脱罪に当たらないとすれば、法人等の場合に比して権衡を失する等と、全く法文解釈を無視した徴税目的一辺倒の立場で評価している。かかる考え方は最早刑罰法規の解釈を放てきして、立法論で人を処罰するに等しい。

貴裁判所におかれては、誤つた判例に惑わされることなく、被告人に無罪の裁判をして正義を実現されたくお願いする次第である。

第四、情状(量刑不当)

仮に弁護人のすべての主張が認められず被告人を有罪とすべきであるとしても、原判決の刑は重きに過ぎて不当である。

被告人の本件犯行の態様は既に見てきたとおりで、何らの所得隠ぺい工作もない極めて簡単明瞭な事件である。脱税事件に通常見られる卑劣な側面が全くないので特に悪質というべき事件ではない。

被告人は前科前歴なく、納税の面でも優良企業を育てて国家社会に多大の貢献をしてきた人物である。今回の所得申告の遺脱については修正申告に応じ、重加算税をも含め五億円以上の国税地方税を納付した。反省の情極めて顕著である。犯罪事実のみ取り出して見ると、被告人が短期間に莫大な株式売却益を得ながらこれを隠し、高額の所得税を免れたとされるのであるが、手持ち株式の評価損を差し引いて現実にいかほどの儲けをしたかというと、全く利益になつていないのである。被告人は昭和五九年から昭和六二年までを通算すると、四億七六〇〇万円の損失を被つているのである。これにしてなおかつ莫大な税の追徴を受け、刑事罰として罰金の言渡しを受ける被告人に対しては同情を禁じ得ない。原判決が懲役刑に併科した罰金一億円の刑は、被告人の本件事案に対する量刑としては重きに過ぎて失当と言わざるを得ない。

第五、立証予定

類似事案についての最近の判決例を入手次第書証として提出する。

人証として、証人原田隆勝、および、証人小林眞二により、被告人に昭和六一年の株式売買益につき所得税逋脱の犯意なかりしこと、および、被告人からの株式売買受託の状況、回数等を立証する。なお国税査察官一名により、株式売買の回数計算の基準、福岡国税局管内での同種事件発生状況、事件の態様等を立証する。そ、のうえで被告人質問を許されたい。

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